【青い鳥には気をつけろ】Twitter歴がそろそろ8年目に突入する筆者が思う、Twitterに時間を費やすメリット・デメリット
こんばんは、あんぐろいどです。
みなさん、Twitterは使っていますか?
このご時世、Twitterを普段から活用しているという方も多いのではないでしょうか。
Twitterは便利
かくいう私もTwitterを使っています。
便利ですよね、Twitter。
2013年5月14日放送の『リンカーン』内でやっていた
Twitter入門講座みたいな回を見た日からやっています。
僕が高校3年生の時でした。
確か初めてのツイートは、
「初ツイーティィィ」だったかな。無垢かよ。
厳密には中学3年生の時にも少しやっていましたが、
1ヶ月も経たないうちに辞めたのでノーカウントにします。
というか発言内容がいちいち痛すぎるから
ノーカウントにさせてください。
(圧倒的黒歴史なクソゲボブログを書いていた頃のアカウントなので、マジで忘れたい)
中学時代のクソゲボブログはこちらでも軽く紹介しています。
自分で自分のことを『ツイ廃』と言っちゃうのはめちゃめちゃ寒いので、
そうは言いません。
しかし一時期は、Twitterだけが心の支えだと言わんばかりに傾倒していました。
ツイ廃を自称するのは寒いけど、それぐらいはやってた。
専門学生時代の話ですが、
「俺、ツイ廃やで?ツイート数教えよか?4万ツイート超えてるで」
というバイト先の先輩からの謎マウントを、
「へえ〜、そうなんですね!(俺はその倍以上あるけど黙っとこ……)」
とやり過ごしたこともあります。
それぐらいにはやってた。
ツイート数自体がお金になるわけでもないので、
その数字にこだわるのはマジで無駄だと思います。。。マジで。。。
こだわってた頃の自分に言ってやりてえ。。。
Twitterは便利だけど……
Twitterは、たしかに便利です。
しかし物事には負の側面というものもあります。
今日はその負の側面についても語れたらなと思います。
「おいおい、ネガティブキャンペーンか?」
と言われるかもしれませんが、
決してそうではありません。
明言します、Twitterだーいすきです。ぼく。
だーいすき、Twitter。
好きだからこそ7年近く使っていますし(次の5月14日で8年目に突入)、
長期間使っているからこそ嫌な面もあるわけですよ。
好きって気持ちだけで恋が上手くいかないのと同じです。知らんけど。
というわけで、前提として僕は
「Twitterは絶対悪だ!時間を無為に消費するだけの麻薬だ!」
とは思っていないことだけは表明しておこうと思います。
この記事の中でもたびたび触れることになりますが、
何事も適切な距離感というものがありますよね。
あくまでも僕個人が思うメリット・デメリット
という観点でまとめていこうと思います。
ではまず、メリットから。
メリット
知らない人との縁が作れる・人と繋がれる
「好き」を共有できる
個人による発信ができる
自分好みのタイムラインを作れる
デメリット
知らない人との縁が作れてしまう・人と繋がれてしまう
分かりやすいところで言えば、
政治に対してめちゃめちゃ偏見がある人とか。
政治の知識を自分で身に付けるのはいいことだと思いますけれど、
偏見の強い一般人の視野狭窄な意見を浴びることになるのは、
あまり良い影響とは言えないのではないでしょうか。
そういう意味で、メリットとは表裏一体です。
個人情報を晒してしまうリスク
知らなくてもいい情報をたくさん浴びてしまう
無為に時間を消費してしまう
これは僕の体験談なのですが、
僕が最もTwitterにハマっていたのは、専門学生時代でした。
調理師学校に通っていた時期に一番時間を費やしたことがTwitterだと
断言できるぐらいにハマってました。
勉強しろよという批判は甘んじて受けます。
22時ぐらいに何気なくTLに浮上すると、そこにはいつメンが。
空リプ(@をつけずに会話をすること)で複数人と交流している中、
次々に睡魔に飲まれるフォロワーさんたち。
そして残ったのが、自分ともう一人。
二人だけになってしまった深夜のTLでも、
僕ともう一人の会話は尽きません。
最終的に、
その会話が終わったのは朝5時過ぎとかでした。
その日も学校があるからさすがにヤベエと思い、
「8時に起きれば始業には全然間に合うな」と眠りに就きました。
案の定、起きたら11時。
そんなに器用に短時間で起床はできないかーーー、と焦りながらも、
遅刻して登校。
夜遊びして遅刻するタイプではありませんでしたが、
Twitterによって遅刻をしてしまうことは、それ以外にも何回かありました。
それに、Twitterというのは絶え間なく情報が流れてきます。
そしてその情報を、頭を働かせることなく享受することもできます。
(悪く言えば『脳死』と揶揄される状態)
少し指を動かすだけで、刺激を得られる。
やっぱりそれって、娯楽として強いじゃないですか。
だから無意味にTLをスクロールしてしまうんですよね。
あとは、ツイートに自分しか分からないようなポエムを書くのも、
あまり生産的ではない時間の消費の仕方だと思います。
「生とは?死とは?」みたいな、今考えて完全な答えが出ないようなことを
Twitter上でうだうだ考えるのは、自分の精神衛生的にも
よくないのではないでしょうか。
スマホに入力するより手書きの方が記憶に定着するらしいしね。
周りのフォロワーさんにも心配させちゃうし。
もちろん『生』や『死』について考えること自体は大切だと思いますし、
『個人での発信』が認められている社会なので、
究極的には何を言うのも自由なんでしょうけれど。
まあ結局のところ、程度の問題ですよね。
超有名な漫画家さんも、
「ぶつけたい感情はすべて漫画に向ける。
SNSでそれを消費してしまうのは、私はしない」
という旨の発言をされていました。
SNSで創作論を語る前に、作り手であるからには
少しでも作品を制作すべき、というのは肝に銘じたいです。
有名作家の創作論なら需要はありそうですが、
一般人の自己陶酔めいた創作論は、正直進んで聞きたいものではありません。
やや強めな語調になりましたが、
上記の発言は自分への戒めです。(ここ大事)
SNSとか居酒屋で創作論語るより、実際に作品を制作する時間を増やそうな。
お前(俺)のことやぞ。
しかし、使い方を間違えなければこんなに便利な物もありません。
以前見たツイートに書かれていた、
「Twitterが晴れ舞台の人には近づかない方がいい」
という言葉がすごく心に残っています。
まさにその通りだなあって。
Twitterが人生の一番の生きがいになってしまうのは、本当に危険だと思います。
何事もそうですけど、いかに適切に付き合うかですよね。
「また政治家が汚職した!許せん!声を上げねば!」
「有名俳優が不倫した!断罪せねば!」
みたいな使い方はしない方がいいと思います。
個人的には、自分の力が及ばないことに関して時間を割くのは
すごく無益なことだと思います。
まあ政治に関心を持つのは決して悪いことではないですが、
有名人の不倫なんてマジで僕たち部外者には関係ないじゃないですか。
僕もゲス不倫が話題になった時は必要以上にマッシュルームカットの男を嫌ったものですが(今もそんなに好きではない)、今思えば不毛でした。
そんな時間があるなら教養の一つでも身に付けた方がよっぽど有意義。
あと他人を叩いていると、自分も疲弊しますしね。
汚い言葉を使ってしまうと、その汚い言葉を、
脳が自分に向けられたものであると勘違いしてしまうらしいです。
『正義の剣』的な物で悪(と自分が思っているもの)を断罪している気になっているうちに、その持ち手が知らず知らずのうちにボロボロになっているみたいな。
そんなこともあるみたいです。
人と比較してしまう
特に何か創作されている人は、
思い当たる節もあるのではないでしょうか。
僕の場合、小説を書くのが趣味です。
しかし小説を書くのが趣味の人って、実生活の中で探そうと思うと、
そうは見つからないんですよね。
もちろんそういう創作サークルなり、集まりなりに参加している場合は
その限りではありませんが。
もちろん、大っぴらに「創作してるよ!」と言わない人も一定数いるとは思うので、その辺も見つけにくさに繋がっていると思うんですけれどね。
でもTwitter上には、たくさんいます。
創作活動をしている人。
ちょっと探せばいくらでも見つかります。
一人で、ある時は孤独を感じながら創作をしていた人にとって、
それは救われる情報だと思うんです。
「仲間なんていないと思っていたけど、身近にいないだけで、実はこんなにいたんだ」って。
でもそれは裏を返せば、
比較対象が多すぎるということにもなります。
他人の実力と比較して、
「今まで自分には才能があると思っていたけれど、全然そんなことなかった」
と絶望してしまうこともあると思います。
でもそんな現実、直視したくないじゃないですか。
そうなってしまうと、自分と同じぐらいの実力の持ち主と
不毛な傷の舐め合いをしたくもなります。
「出版不況なのが悪い」とか、
「読書に触れなくなった奴が多くなったのが問題だ」とか。
そういった、「自分は悪くないのに」という論調での語り合い。
後から振り返った時に、ただの愚痴大会だったと
思えてしまうような時間を過ごすのは避けるべきだと思います。
僕は幸い、今のところはなんとか筆を折らずにやっています。
しかし、自分の未熟さゆえにすべてを諦めたくなる衝動に駆られることもあります。それなりの頻度で。
現にこのブログを書いていても、
自分の文才のなさに酷く落胆する瞬間が何度もやってきます。
自分の作る物が誰の心にもかすらなかった(と、思い込んでいた)時は、
比喩じゃなく死にたいとも思いました。
誰にも見られないのだから、消えてしまいたいとも思いました。
創作を続けるという道を選ぶ限り、
その悩みから解放されることは難しいでしょう。
Twitterの話からは少し逸れてしまいましたが、まあとにかく、
Twitterを眺めていると飛び抜けた才能をたくさん目の当たりにしてしまうんですよね。
「こんなに素晴らしい才能を持つ人たちがいるのに、わざわざ俺が頑張る必要なんてないのではないか?」って。
だから結論は、情報を必要以上に過剰摂取しないことが大事、
ということになると思います。