暗くて愚かなニクいやつ。

連続ブログ小説『LinK!』、感想貰えたら引くほど喜ぶ

『まわりくどさ』を大事にしたい

こんばんは、あんぐろいどです。

今日は『まわりくどさ』を大事にしたいという話。

 

みなさんはまわりくどさって必要あると思っちゃったりしてみてる感じに生きている感じです感じ?です感じ?

 

上記の文章を見た人の大半は「まわりくどいな〜〜〜何が言いたいんだかわかんないっぽい気がしないでもない感じの感じ出てるわ〜〜〜」と思うことと思います。思う気がするんです。思えバカやろう。

『まわりくどさ』に対しては、みんなそう思うんじゃないかと僕は思うわけですよ。

 

 

 

例えば、会社の上司なんかになんらかの報告を迅速にしなければならない際に、

「あ、あの件ですね。あの日は朝起きて、歯磨きをして、顔を洗って……」と、不必要な情報を添付するのはよくないでしょう。

 

「もっと要点をまとめて言え!余分な情報を添付すな!お前の情報は衣だけ多くて中身がしょぼい揚げ物か!俺の胃を衣だけで満たすな!美味しい部分を早く俺にくれよ!なあ!俺は揚げ物の中身も美味しくいただきたいんだよ!」

「あの、すみません…… まわりくどくてよくわかりません……」

「どの口が言ってるんだよ!どの口が!揚げ物でも食べて口内の水分無くしたか!?水を飲め水を!水って気分じゃないならお茶でも炭酸でもなんでもいいからとにかく飲料をごくごくしろ!飲料をごくごくしたら喉が潤うから!試してみろって!なあ!?」

「まわりくどくてよくわかりません……」

 

みたいなまわりくどさは、見るからによくないですよね。報連相時にはよくない。

ちなみに報連相というのは、社会人にとって必要なスキルである報告・連絡・相談を覚えやすく、なおかつウィットに富んだ要素を含みつつ『ほうれん草』と掛けた言葉であって、決して「社会人として一人前になりたければ『ほうれん草』をたくさん食べなさい」という菜食主義者の言葉ではありません。たぶんおそらくそういうこと。社会人としてカスだから知らない気がする感じだけど。

 

 

 

……とまあ、ここまでまわりくどく「まわりくどさって必要なくない!?」というスタンスでお送りしてきましたが、僕個人的にはまわりくどさは本当に不必要なのか?と思います。

 

僕自身、過去に何度か「説明がまわりくどくてよく分からない」と言われたことがあります。

でも僕が話す際に重要視しているのは、「自分の気持ちを、無くなりかけている歯磨き粉のチューブを折り畳んで絞り出すかのように、余すところなく言葉にしたい」という気持ちなんですよ。

自分の心にピッタリと合致した言葉や言い回しを使おうとして、結果まわりくどく思われることがあります。

まあ自分の求める言い回しを完璧に使いこなして相手に理解してもらうために努力をすることは欠かせませんけれど。

 

しかし僕はそんな自分から『まわりくどさ』を削ぎ落としたいとは思いませんし、なんなら『まわりくどさ』こそが人生だと思っています。

 

もちろん、上記の例に挙げた『報連相』みたいな時にはよくないと思いますよ。

あのようなケースはまわりくどい表現を使用すると、相手の時間を無為に削ってしまったり会社に損失を与えてしまうため、早く済ますに越したことはないものでしょう。

 

 

 

しかし、速さが必要じゃないものであればどうでしょうか?

例えば娯楽であったりとか。

 

ラブソングであれば「あなたのことが好きです」ということを、スポーツ漫画であれば「仲間がいるのって素晴らしい」ということが伝えたいことの主軸の場合も多いじゃないですか。

 

でも「だったら歌とか漫画で表現しなくても、直接そう言えばよくない?」というのは違う気がしますよね。

そういう娯楽というものはまわりくどく、表現者から発されるからこそ意味があるんですよ。

言ってしまえば人生だって「生まれたから死ぬ」というだけのことです。

 

でもそれって、あまりにも無機質で色味に欠けますよね?

「あなたのことが好きです」というテーマを曲として受け取り、それをどう解釈して自分の血肉とするかと考えるのって、すごく有意義なことだと思うんですよ。

 

人間にとっての課題というか、僕にとっての課題だと思っているんですけれど、自分が生きている間にいかに「生まれたから死ぬ」という因果関係に飾り付けできるか、それこそが人生だと思っています。

 

「生まれたから死ぬ」という一直線を人生とするより、「生まれてから色々なものを見て、色々なことを考えて、泣いたり落ち込んだりしたけれど、あとから思えば幸福だった」みたいに、まわりくどく紆余曲折な感じの方が、なんというかオリジナリティーがあっていいじゃないですか。

 

 

 

僕自身のフラフラとした人生だって、見る人が見れば「競争に負けてエリート街道から外れた、意味のない人生だ」と思うかもしれません。

 

しかし、そんな「意味のない人生」の中でも僕は日々色んな体験をして、思考を巡らせているわけです。まあそれがその『見る人』にとって有意義なものではないかもしれませんが、少なくとも僕にとっては大切なものです。誰が何と言おうとも。

 

まわりくどくなってしまいましたが、要するに『まわりくどさ』はその人の人生を輝かせるために重要なファクターだということです。カッコつけて横文字使っちった。

 

そんなわけでこれからも僕は、まわりくどい比喩とかを使って文章を書いていけたらなと思います。

そういうものに楽しみを見出せるようになれば、心のゆとりもできるんじゃないかな。

 

そんな感じで、今日はこの辺で。

それでは、あんぐろいどでした。