同い年の先輩【小説再掲】(4500文字程度)
「先輩!おはようございますです」
先輩の後ろ姿を確認したわたしは、早歩きで先輩を追い抜きました。振り向いて、自分が一番可愛く見えるよう研究し尽くした表情と角度で先輩の顔を覗き込みます。精一杯ぶちかましてやりましたと得意気になったのも束の間、夏用の学生服に身を包んだ先輩は特に動じる様子もなく、いつものようにクールな顔で言いました。
「よう。今日も朝から元気だな」
くはぁ、先輩こそ朝から晩までいつ見てもかっこいいですね!とは恥ずかしくて言えません。きゃー!
「はい!元気過ぎて今なら先輩にだって勝てそうです!なのでじゃんけんで勝負です!」
「唐突なバトル展開だな」
「勝った方は負けた方に何でも命令出来るというアレです」
「面白い」
わたしは利き手である右の拳を左手で覆い、それを額に当てます。集中力を高める儀式です。これを行うことで、私のじゃんけんパワーは10倍にも20倍にも膨れ上がるのです。今のわたしなら全国制覇も夢ではないでしょう。
そして、戦いの火ぶたは切って落とされたのです。
「いきますよ!じゃーんけーん」
右の脇を締めた反動で勢いを付けながら、私はさながらボクサーのような鋭さで右手を放ちました。そんなわたしとは対照的に、先輩は握った手を最小限に軽く振りました。涼しげな顔が憎らしいほど爽やかです。
「ぽん!」
わたしの拳からは二本の刃が生え、全てを切り裂く最強のウエポンへと姿を変えました。要するにチョキです。勢いがあって直情的な人はじゃんけんでグーを出しやすいからパーを出せば勝ちやすい、という俗説を逆手に取り、私はその裏をかきました。
「俺の勝ちだな」
そう言った先輩の手は、わたしの最強の武器に唯一対抗出来る頑強な賢者の石ーー要するにグーではありませんでした。
「……なんですか?それ」
「何ってお前、知らないのか?」
先輩は右手の人差し指と小指を立て、残りの三本を集約させていました。突かれたら確かなダメージを喰らいそうです。
「きつねさんだぞ。コンコン」
「わー、可愛い」
くっつけた三本の指を開閉させる動作に合わせて、先輩は言いました。
「きつねさんはお前のはさみに毛を切ってもらったおかげでかっこよくなり、メスのきつねにモテモテになりました。そして恋人ができ、二匹のきつねはいつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
先輩は両手それぞれできつねさんを作り、三本指同士を合わせました。それはまるできつねさんカップルがちゅーをしているようでした。
「愛は戦を越える。はい論破」
「さすが先輩です……約束通り、わたしを好きにしてください!」
「よし。んじゃ、学校着くまで話し相手になってくれ」
文章に興すには恥ずかし過ぎることをされるのではと期待するわたしはやや拍子抜けをして、先を行く親ギツネ先輩に子ギツネのごとく着いてゆくのでした。
やっぱり先輩は優しいなあ。
◯
「そういえばお前、今日誕生日だったよな。おめでとう」
偉大な先輩が何の取り柄もないわたしのような虫ケラの誕生日を覚えていてくださるとは、先輩の神々しさは留まることを知りません。何でもかんでも『神』と形容する昨今の風潮には疑問を呈さずにはいられないものですが、あえて先輩のことを『神』と言い表したい所存です。それぐらいには神々しい先輩です。先輩神。先輩の中の先輩として、世の後輩全てに幸せを与えてくれることでしょう。
「ありがとうございます!本日7月6日をもちまして、わたしは先輩と同じ17歳になりました!」
わたしが誇らしげに胸を張ると、先輩は優しい笑顔で手を叩いてくださいました。
「最初に会った時は米粒ぐらいの大きさだったのになあ」
「初対面は高校入学後だったという指摘は野暮なのでしないことにします」
元気よく降り注ぐ日差しによって服の中に若干の不快感が生じますが、先輩とお喋りをしているだけでそれは浄化されていきました。先輩ほどの方なら、身体からマイナスイオンが発生してもおかしくはありません。蒸し暑い夏の夜、縁側にでも先輩を置いておけば、蚊取り線香のように小さな虫たちを仕留めてくれることでしょう。
「マイナスイオンは発生しないし蚊も仕留めねえよ。俺は万能の便利グッズか」
過剰に論理の飛躍が行われたわたしの独白に先輩からのツッコミが入ります。丁寧に指先が揃えられた先輩の手が、わたしの肩にポンと当てられました。その感動と興奮でその場に崩れ落ちることやむなしという精神状態でしたが、他にも登校中の生徒がいたので我慢しました。その場に崩れ落ちたことで先輩に抱き抱えられながら登校するというのは夢の中だけに留めておきましょう。
「とにかく、これでわたしと先輩は同い年になったわけです。なので、タメ口を効かせて頂こうと思います」
「なんだそりゃ」
呆れながらも止められそうな気配はなかったので、その対応を承諾と受け取り、わたしは言いました。
「……よ、よお、先輩。最近、どう?釣れてる?」
「ヘタかよ。ヘタクソかよ。水辺ならともかく、こんなコンクリートの道じゃ何も釣れねえよ」
先輩へのタメ口を許されるという僥倖の反面、めちゃめちゃ恥ずかしくなって変なことを口走ってしまいました。脈絡のない『釣り』というキーワードを選択したことで不意の面白さを演出していると思われたら寒過ぎます。顔が赤くなってるぞ、ともし今先輩に指摘されたなら、暑さのせいと言い訳が出来るでしょう。
「すげえ不自然な口調だったぞ。それに俺、魚釣りやったことないし」
「そうでしたか!いつも綺麗な女性を釣っているので、つい。女泣かせですから、先輩は」
「誰に聞かれてるか分かんない情報化社会で人聞きの悪いことを言うんじゃねえ」
少なくとも一人、釣られちゃった女の子が先輩の隣にいるんですけどね。お前みたいな奴はリリースだ、みたいなことを言われてしまうのは安易に想像出来るので、黙っておきました。
「タメ口使いたがったわりに、『先輩』呼びは変わらないんだな」
「それはアレですよ。先輩を尊敬する気持ちが暴れた結果です」
「暴れさせんな。繋いどけ」
出来ることなら先輩に繋がれたいものですけどね、とは言いません。恥じらいの乙女は、朝から過激なことは言わないものなのです。
「それに俺は俺で、2日後には誕生日を迎えて18歳になるわけだが」
「えー。ずるいですー」
「ずるいってなんだよ」
そうなのです。
先輩と同い年でいられるのも、明日までなのでした。
「まあ、そう喚くな。いいものをやるから」
「いいもの?」
そう言って先輩は携えた学生鞄を開け、ごそごそと何かを探しました。あったあった、と言いながら先輩が取り出したそれは、可愛くラッピングされた黄色のちいさな袋でした。
「やるよ。クッキー焼いたんだ」
「わたしにですか!?おこぼれですか!?」
「お前にだよ。誕生日プレゼントにおこぼれなんて失礼だろ」
顔を洗う時のように合わせられたわたしの両手の中に、先輩がその袋を置きました。いつまでも眺めていられます。
「家宝にします」
「ベタなこと言わず近日中に食え」
家に帰った後自室で、クッキー一枚一枚と対話しながら大事に食べよう、と決意したところで、わたしのウキウキは最高潮に達しました。頭の中がハッピーで溢れ帰って、何がなんだか分かりません。加えて、この暑さです。
後から思えば、軽率だったなあと思います。
「彼女さんにも、こういうの作ってあげるんですか?」
わたしには大き過ぎる幸福を頂いたことで気持ちが昂っていたのか、そんなことを口走ってしまいました。ただただその幸福を噛み締めていれば、そんな辛いこと、言わずに済んだのに。
「んー……まあ、以前はな」
先輩は決まりの悪そうに、そう答えました。その表情を見てしまったわたしの視線に気付くと、先輩は言いました。
「実は、今ちょっと、上手くいってなくて」
「喧嘩でもされたんですか?」
夏の暑さと幸福で体温を上げたわたしは、話の続きを促してしまいました。野次馬根性。無神経もいいところです。
「ってほどでも、ないと思うんだけどさ。なんか、冷たい感じかな」
先輩の彼女さんは、先輩と同じクラスの方だそうです。学校内で何度かお見かけしましたが、綺麗なストレートヘアーがよく似合う、わたしなんかとは比べ物にならないとても素敵な方でした。
「ごめんな?愚痴なんか零しちゃって」
謝る必要もないのに、先輩は無理矢理明るい顔を作ってそう言いました。
学校はもう、目と鼻の先です。
「お前、話しやすいからさ。いい後輩を持ったよ」
学校に到着しました。正門を抜けます。
楽しい時間は、なぜこうも早いのでしょう。残酷です。
「じゃあまた。明日も同じ時間に家出るから。会えるといいな」
そう言って先輩は、3年生の昇降口に向かいました。放課後は、先輩は塾で、わたしは部活。休み時間に会うことも、ほとんどありません。たまたま家が同じ方向でよかったと、心から思います。
「……わたしが同学年なら、先輩に寂しい思いなんか、絶対させませんよお」
先輩のお話を聞いて『入り込む余地があるのでは』と思ってしまいました。実に卑しく、稚拙なわたしがそこにはいます。
でも、そんな小狡い自分でさえも、わたしは嫌いになることが出来ませんでした。
◯
「よう!今日も元気だな!」
翌朝見た先輩の顔は、まるで空に浮かんでいる太陽のように輝いていました。
「昨日言ったことなんだけどさ、問いただしてみたら、実はサプライズってことでそっけなくしてたらしいんだよ!ベタなことすんなー、って思ったけど、そうだと分かりゃ嬉しいもんだな。 ……あ、でもだとしたら悪いことしちゃったかな」
そう語る先輩の偽りのない笑顔を見ていると、わたしは嬉しくなりました。
「まあ、心地よく誕生日を迎えられるってことで良しとするか」
そういえばクッキーどうだった?と先輩が聞きました。
甘くて美味しかったです。とわたしは答えました。
「先輩と彼女さんが上手くいくことを願ってます」
「ありがとな。お前は最高の後輩だよ」
わたしなんかにはもったいないお言葉を頂いちゃいました。後輩冥利に尽きます。
明日は、彼女さんの家で誕生日を祝ってもらうのだそうです。十分英気を養って、元気いっぱいで、先輩たち受験生にとって勝負の夏を乗り越えて頂きたいものです。
◯
やっと肩を並べたと思っていたのに、先輩はまた先へと行ってしまいました。やっぱり先輩は、ずるいです。
うじうじとそんなことを考えていても不毛だと思ったので、わたしは机に置いてあった、先輩から頂いたクッキーの残りが入った袋を手に取りました。そして、中身を掴めるだけ掴んで口の中に放り込みました。ぽろぽろと床に落ちてしまった欠片は、後で片付けないといけませんね。
なんだか心なしか、昨日食べたよりもしょっぱい気がします。
というのはいささか詩的で、気取り過ぎでしょうか?
まったく先輩は本当に、女泣かせな先輩です。
『よう!今日も元気だな!』
利き手できつねを作りました。
合わせた三本指にちゅーをしました。
めでたし、めでたし。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※この作品は以前『小説家になろう』上に投稿したものに、若干の修正を加えて再掲したものです。