【小説再掲】ニートを追う藻野、伊東をも得ず。
「よー、藻野。プリント届けに来てやったぞ」
「ひゃあっ!?」
隣の家に住む幼馴染兼クラスメイトである藻野の部屋へ入ると、そこに彼女はいた。藻野は自室の中で、ラフな格好をした全身がすっぽりと納まるほどの大きな鏡と対面しており、何やらふにゃふにゃとしたポーズを決めていた。
俺に見られたことでそのポーズを解き、真っ赤な顔で勢いよく突っかかってくる。襟元をとんでもない力で握られてしまったのでアイロン掛けが大変だ。
「うわぁ、二堂くん!?乙女の部屋に入るのにノックも無しだなんて、常識はずれにも程があるんじゃないかな!?死にたいのかな!?」
「死にてえわけねえだろ。お前みたいないい女残して死ねるかよ」
「えっ」
そう言われるなり藻野は俺の襟元から手を離し、耳を真っ赤にしながら後ずさりをした。目論見通り隙ができたところで、すかさず追い討ちをかける。
「俺が死ぬ時はお前も道連れだ。俺が先に死んで、幼少期の恥ずかしい話アレやらコレやらをそこかしこにバラ撒かれたらたまらん」
俺の一瞬の甘い言葉に揺さぶられ、藻野が動きを止めている間に、俺はさらに間髪を入れず彼女にとどめを刺す。
「むしろお前を先に向こうに送って、俺がお前の恥ずかしい話をバラ撒いてやるよ」
「さすが、気安さしかない幼馴染とは言えそこまでサドに徹することが出来る二堂くんには恐れ入るよ」
◯
「粗茶ですが」
「うむ」
藻野が淹れてくれたお茶を、湯呑みの温かさを両手で堪能してから口内へ入れた。舌全体に心地の良い熱が広がってゆくのを感じる。冷えた身体の隅々まで染み渡っていく。
「相変わらずお前が入れたお茶は世界一美味いな」
「狭い世界だなあ…… お世辞はいいから」
「俺は生まれてこのかた嘘なんてついたことない」
「はいはい」
『嘘なんてついたことない』という俺の嘘を軽くいなして、藻野は俺に向き直り本題へ入る。
「……わざわざ時間割いて直接プリントなんて届けに来なくても、お母さんに渡しておけばいいでしょ?」
丁寧にお茶を淹れてくれたサービス精神旺盛な藻野は、思い出したかのようにしかめ面を作る。どうやら、入室時に見られたふにゃふにゃとしたポーズの件をまだ根に持っているらしい。
「バカヤロー、俺はお前に直接言いてえことがあんだよ」
「……言いてえこと?」
藻野にはもちろん心当たりがあるようだったが、とぼけたフリをして頭を傾け、先を促した。
「お前、いい加減学校来いよ。いじめられてるとかじゃねえだろ?」
俺がここに来た理由ーー部屋に出入りする付き合いは数年前、思春期に突入した頃に終わったにも関わらず、幼馴染の藻野の部屋を訪れた理由はそこにあった。家も席も隣の幼馴染が学校を休んだのは、今日で2週間になる。
「いつまでニートやってるつもりだよ」
「二堂くんにはわかんないよ、私の気持ちなんて!私はこのままこの家の中でその儚き生涯を終えるんだよ」
理解されない苦しみを必死に訴える藻野に対し、登校を強要する俺という構図は、これがテレビドラマの一場面だとすれば俺の方が分からず屋と称されてしまうかもしれない。しかしこれがテレビドラマの一場面でもなければ、俺が分からず屋でもないということを唯一わかっている俺自身は、何でもないようにただ事実を述べる。
悲劇のヒロイン気取りの藻野に、現実を突きつける。
「伊東にパンツ見られたからって、そんなんでお前2週間も休むなよ」
「うわぁぁぁ!ちょっと!言わないでよ、恥ずかしい!」
その場で尻餅をつき、手で器用に地面を押しやることで、後ずさりをする藻野。俺も何度か物色したことのある豊かな本棚に思いっきりぶつかり、雑に積んでいた漫画本がバラバラと落ち、藻野の頭を乱舞する。藻野は頭を抱え、背中を起点として床をゴロゴロ転がりながら悶えている。ゆったりとしたスウェットと気安さしかない幼馴染だからこそ出来る芸当だ。
全く…… 何が恥ずかしいのかはよくわからないが、乙女心というのは面倒臭いものである。
「過度に恥ずかしがり過ぎなんだよ、お前は。パンツがなんだっつーんだ。俺なんか部屋の立地的に、晴れの日は毎日お前ん家で干されてるお前のパンツ見てるっつーの」
「干されているパンツは衣類だから平気」
「……過度に恥ずかしがらな過ぎなんだよ、お前は」
俺と伊東とでここまで反応が違うとは、さすが気安さしかない幼馴染である。
「パンツ云々がどうとかじゃなくて、履いているパンツを伊東くんに見られたかどうかが重要なんだよ! インポータントなんだよ!」
「そんなアメコミ原作の亀の忍者みたいな横文字は知らん」
「それはミュータントタートルズだよ!タントしか合ってないよ!相変わらず、顔に似合わずおバカだね!」
「だから、顔と性格に見合わず利口なお前に勉強を教えてもらいたいんだよ。だから学校に来い」
今度こそ嘘偽りのない俺の言葉が少なからず響いたのか、藻野は頭を抱えながら、嬉しいような顔と困ったような顔を繰り返すばかりだった。
「二堂くんが私のことを必要としてくれていることはありがたいんだけど、でもなあ、あーあー」
「伊東のことなら気にするな。あいつは何でもなかったみたいだし、そもそもあいつ彼女いるしな」
「えっ!? うそ!?」
信じられないキレの良さでこちらを向く藻野。その勢いが存外に強かったらしく、顔をしかめて首を抑えている。
「ふにゃふにゃしたポーズが嫌いとも言っていたし、伊東の好みを聞く限り、お前とは正反対のタイプが好きとも言っていたな。大人でビューティーでボインバインが好きなんだそうだ」
「がーん……」
「露骨なショックの受け方だな」
藻野は両手で頭を挟み、世界の終わりみたいな顔をした。口に出して言う奴を初めて見たな、その擬音。
「そもそも、あのふにゃふにゃしたポーズは何なんだ?」
「な、なんて言うか…… 可愛く見えるポーズの研究、的な…… もういいでしょ!忘れてよ」
「忘れられないよ。あれは素晴らしかった。後世に残すべきだ」
「……バカにしてる?」
「そんなわけないだろ。心外だな、俺のことを疑っているのか?それならそれとして、もう一度真面目に頼むぞ。B級スタンダップコメディーなんて目じゃないぐらい面白味満載の、あのふにゃふにゃしたポーズを、もう一度俺に見せてくれ。爆笑してやるよ」
「やっぱりバカにしてるぅ!」
両手を握りしめ、ポカポカという擬音が似合いそうな拳を何度も俺の肩にぶつける。『子供パンチ』と呼ばれるその攻撃方法は、しかし名称ほど可愛い威力のパンチでもなかったが、そこは持ち前の器量で受け入れてやった。
「お前が来ないと言うなら、この無様な姿を学校で言いふらしてやるぜ。ぐひゃひゃー」
「性格ひん曲がってやがる!」
「まあ、商品価値のない形の悪いキュウリばりにひん曲がっている俺の性格のことはさておき…… 言いふらされたくない、伊東に彼女がいるか確かめたい、というなら、お前の目で直接確かめに行けばいいさ」
「……でも二堂くんの言う通り彼女がいたらショックだし、いなくても学校には行きたくないし…… 言いふらされるのもクソみたいに嫌だけど」
「ワガママな奴だ」
「ワガママだもん」
藻野は、ベッドに置いてあった正方形のクッションを取り、そこに顔を埋めた。
「ずいぶん伊東の奴に入れ込んでるんだな」
「……誰のせいだと」
「ん?」
「なんでもない」
何かを口にした藻野だったが、その言葉はクッションに吸収されてしまった。
藻野は顔を上げ、興奮したように続けた。
「二堂くんこそ、貴重な青春の1ページをこんなニート女の相手することに費やさなくてもいいんじゃないの?あの可愛い彼女にでも費やせばいいじゃん!」
「……ん?彼女なんかいないぞ」
「嘘ばっかり!知ってるんだから!クラスの子と何度も一緒に帰ってるところ、見たんだから!死にたいのかな!?って思ったよ!」
「お前は俺を死なせてばかりだな」
そう言いながら、俺は心当たりの女の子を思い浮かべ、頭を掻いた。
「あの子は本当に何でもない。好きな本が同じだったとか、好きな音楽が同じだったとか。あるいは好きな映画が同じだったか何かでちょっと話すようになっただけだ。ハッキリと、何がきっかけだったのかすら覚えてない。それだけだよ」
「共通の趣味が持つ魔力を知らないの?男の子と女の子が仲良くなるのなんて、そんなことで十分なんだよ!」
「だから」
語気が熱くなってきた藻野を制するように、彼女に手のひらを見せる。さながら、飼い犬に『待て』でもするかのように。
「そもそも、本当にそういう話じゃない。ちょっと相談に乗ってもらってただけだ。向こうも俺のことは『話やすい友達』としか思ってないって言ってたし。 彼氏がいるとも聞いていたしな」
「……遠回しにフられたんだね。なんかごめん」
「何でそうなるんだ」
言わせちゃってごめんね、と藻野は本気の申し訳なさそうな顔を見せる。何と釈明しても、わかってもらえそうな気配はない。
「その子も、伊東くんも…… 恋人持ちのリア充ばっかりだね。死にたくなるよ」
「ああ、俺もだ。だから学校に来い。死にたくならないためには、お前という暇潰しの相手が必要なんだよ」
「すごい言われよう」
「今さらだろ?」
あはは、と力なく笑う藻野。伊東に彼女がいるということに対し、少なからず傷付いているようだった。
「そういえば、伊東のどこが好きだったんだ?」
「……うーん、わかんない」
「わかんないってことはないだろ」
「本当に、わかんないんだよね」
藻野は両手を後方に置き、天井を仰いだ。
「一番近い言い方をするなら、お手頃な王子様だったから、かな」
「お手頃?」
「顔が良くて、運動神経も良くて、成績も良い。まさに完璧な男の子だったから、最適だったんだよ。心の隙間を埋めるのにーーっと」
言い過ぎた、とばかりに口を覆う藻野。
それだけ聞ければ、十分だ。
「……いいか?おさらいしておくぞ」
俺は立ち上がり、藻野との距離を詰め寄る。
「伊東には彼女がいて、お前のパンツを見たことなんて気にも留めていないし、俺には彼女もいない」
藻野と向かい合った俺は、両手を彼女の肩に乗せる。ビクッと身体を揺らしながらも、彼女はその手をどけようとはしなかった。
「……俺は、出来ればお前より先に死にたくないし、お前が死んだ後に一人残るのもごめんだ。お前のいない毎日は静か過ぎるんだよ」
言葉を紡ぐまでのほんの少しの間が、静寂に彩られる。まるで、世界に俺と藻野しかいないようなーー大袈裟に言えば、そんな感じだ。
「それならせめて、しばらくの間、俺と一緒に生きてほしい。お前とたくさんの思い出を作った後なら、死ぬ時だって後悔は残らないだろう」
「に、二堂くん」
「……わかるな?」
「……うん」
そう言って、ゆっくりと目を瞑る藻野。
俺は彼女の顔を眺め。
そしてーー
「痛ったぁ!!」
その無防備なでこを、中指で思い切り弾いてやった。
「やーい、また騙されやがったな」
「また騙された!」
先ほどよりも数倍勢いのある握り拳を避けた勢いをそのままに、俺は後方にある出入り口を抜け、そそくさと廊下に出た。扉を少しだけ開けて、藻野の様子を窺う。
「もう!いつもいつもいじわるばっかり!そんなことしてたらモテないよ!?」
藻野は立ち上がり、親の仇を相手取るような目をしながらこちらへ向かってくる。頭に血が上っている彼女の耳にもちゃんと届くよう、いつもより声を張って言った。
「安心しろ。俺は好きな女にしか意地の悪いことはしないから」
言うだけ言って、俺は扉を閉める。後ろで、すとん、という音が聞こえたが、俺の後を追ってこなかったのは、案の定腰でも抜かしたのだろう。
「好きな人を落とす方法?そんなの、押して押して押しまくるしかないじゃん!あたしの時もそうだったし」
……という豪快なアドバイスをくれたクラスメイトの女子には、後日お礼をすることにしよう。
玄関を出ると、身を刺すような冷たい風が吹いた。しかし、不快なものではなかった。火照った身体を冷ますには、ちょうどいいぐらいだ。
「……ただまあ、伊東にはちょっと悪かったかな」
本人に直接事実確認もせず、あることないことを捏造した伊東には申し訳ないことをしたと思うが、まあ男から見ても王子様みたいな伊東のことだ。
彼女の一人や二人、いることだろう。
◯
「よー、藻野。やっと来やがったか」
翌日、登校した俺が靴を履き替えていると、先に登校していたらしい藻野が、俺の前に現れた。
「……二堂くん?き、昨日の話なんだけど」
耳を真っ赤にして口ごもる藻野。そんな彼女を見ていると笑いを堪えきれず、噴き出してしまった。
「も…… もしかして。昨日のアレも、嘘……?」
「さあ、どうだろうな…… ブフッ」
酷いだの嘘つきだの、様々な言葉と流れるような拳で罵倒してくる藻野を軽くいなす。やはり藻野と学校で、そんなくだらないやりとりをすることは楽しかった。
「やっぱり藻野は…… いい女だな」
「嘘ばっかり!」
藻野は「いーっ」と歯を見せ、走り去って行く。そんな藻野を見送りながら、そろそろ始業時間だな、などと他愛のないことを考える。
俺の言葉が嘘か真かを、彼女が知るのはーーもう少し、後になってもいいだろう。
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※この作品は以前『小説家になろう』上に投稿したものに、若干の修正を加えて再掲したものです。