暗くて愚かなニクいやつ。

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『後天性人見知り』コミュ力の話

こんばんは、あんぐろいどです。
みなさんは、自分のコミュニケーション能力が高いと思いますか?それとも低いと思いますか?
僕はもちろん後者です。

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(↑コミュ力の低さを活用した低温調理)



コミュニケーション能力の低さにも色々あると思います。
相手と何の接点があるかまだ分からない、初対面で緊張する人。
初対面時は勢いで乗り切るも、2回目以降の話題が無くなってしまい話せない人。
自分語りばかりで相手と対話をしない人。
人間そのものと交流するのが嫌いな人もいるかと思います。

僕自身はというと、初対面で緊張するタイプ。初対面ではなくても、心のタガが外れるまではなかなか自然体になれません。

でも何度も交流をしているうちに「あ、この人大丈夫かも」とコミュニケーションのハードルが滑らかに下がる感覚を覚える日が来ることもあります。そうなると今度は、心を許した人たちにウザ絡みをしてしまったりするんですけどね。
ちなみにここで僕の黒歴史を紹介すると、高校時代にその『コミュニケーションのハードル』が滑らかに下がる感覚を覚えた相手は片手の指の数より少ないです。



そもそも最初に人見知りを自覚したのはいつだろう、と考えると、僕の場合は幼少期とかではなく、高校1年生の時でした。

僕はいわゆる、後天性人見知りです。

「なんじゃそら」と思う人もいるかと思うので、説明します。



僕は中学時代まではわりと明るく、いわゆるひょうきん者に位置しているタイプ(好かれていたか嫌われていたかはともかく)の子供でした。
友達を相手に、思い付いたギャグを脊髄反射的に繰り出したり。現在の自分に通ずる部分もあると思います。

今考えてみると、中学時代にそんな風に振る舞えていた要因は、保育園・小学校が一緒の生徒が多かったからではないかなあと思います。物心付いた頃から知り合いだったので自然体でいられた気がします。

あと、僕の出身中学は体感的に結構平和だったので、僕がふざけても周りは笑ってくれました。
そんな中で生きていたので、きっとこの先もひょうきん者として生きていくんだろうなあみたいなことを思っていたかもしれません。



しかしここで転機が訪れます。文脈的に、もちろん悪い転機です。
天気で言えば『自分の足に影響する雷雨』ぐらい悪い転機です。



入学した高校が、今までの僕のノリが『サムい奴』と言われてしまうような所でした。
運動部が盛んだったので、当時文化部だった自分は肩身が狭かったので、挙動不審になっていたこともあるでしょう。それで余計に。

なんとか悪目立ちをする前にそのことに勘付いたのでよかったですが、そうでなければ僕の灰色の高校生活はもっとくすんだ様相を呈していたことでしょう。
思えば中学時代にも、その気はあったような気がします。中学3年の夏から通っていた友人Kと出会った塾でも、他校生がやけに大人に見えて気軽に絡みには行けなかったりね。



人見知りで困ったことと言えば、以下のようなケースもあります。
大人数で遊んだ日、ワイワイしながらみんなで帰り道を歩き、少しずつ人数が減っていき、ふとしたところでそんなに交友が無い人と二人っきりになった時なんかはね、思いますね。

ヒィ〜〜話題が無い〜〜

とかね。
どんな人とも腹を割って話せる話題があればそれに越したことはないですが、なかなかそういうわけにもいきませんよね。

誰が相手でも困らない豊富な話題を普段から意識して蓄えておくか、他人との気まずい沈黙が全く気にならない鋼のメンタルを身に付けておくかしておいた方が生きる上ではよさそうです。

みなさんも、メンタルを鋼にしてみては?
という文言を本日のクソまとめにしつつ、今回はこの辺で。

それでは、あんぐろいどでした。